2001年7月から、ネット上の音楽著作物使用料の徴収が開始されました。当サイト「音魂」の見解は当初、設定された著作物使用料および日本音楽著作権協会(以降JASRAC)の議論の少なさを不服として当座の支払いを見合わせてきました。 →詳しくは過去の見解を参照ください 以来長らく見解を保留としてきましたが、2003年11月に改めて熟考し、同月より著作物使用料を支払うこととしました。
2003年11月に当サイトの音楽著作物使用料に関する見解について再度考え直しました。JASRACの方針および現状に一部不満はあるものの、著作者への敬意を第一に考え、その他の要因もあわせた結果、同月からの使用料を正式に支払うことにいたしました。
音楽家を含め芸術家は誰のために作品を作るのか。作品は誰のものだろうか。 この問いの答えを出すには一生かかっても足りないだろうが、それ以上に、作品に絶対的な価値=金額をつけることは難しい。絵画をオークションで落札したら、果たしてそれがその絵画の値段だろうか。もしその作品が、落札者でない誰かひとりのために作者がささげたものだとしたら…。 音楽は更にややこしく、見かけ上、複製はいくらでもつくれる時代になった。作品の芸術性を借りるための料金、つまりその音楽を流すための使用料など、計算できるものではない。 太古の歌い手、語り手がそれを本職、あるいは副職にしていたとき、それで大金を手にすることはほとんどなかった。歌は歌い継がれ、語りは語り継がれて後の世にまで残ることになる。彼らの充実感はそこにもあったと思う。継がれた歌はもはや誰のものでもないだろう。 どんな音楽も、作る人だけでは曲は広まりはしない。聴衆の共感を得て初めて、曲は世に出る。聴衆は作曲家・演奏家にも並ぶ大事な音楽の主役のひとりなのだ。 でもこの地球、この時代では、作曲家・演奏家としてメシを食う人たちがいる。技術がなければできないことだから、それは何もおかしくない。労働者が働く時間に作曲者はすばらしい曲を生み出す。それに対しては敬意を払いたいから、使用料を支払うことについては賛成する。 ただ音楽家のはしくれとして、今回の使用料徴収についてはまず、聴衆の意見をまったく聞かずに一方的に決定した暴挙であることに反対したい。意見を聞く場はあったものの、意見に対する回答は愚かなもので、どうみても議論の場とは言えない。 その結果決められた使用料も納得できない点がまだ多い。 音楽家は誰しも最初から優れているわけではない。すばらしい作品を模倣し、技術を見出して、やがては自分の独自性を発揮していく。この方程式がすべての芸術家に当てはまるわけではないが、名作に出会い、自分の技と映し合わせることで独自性を見出すきっかけにもなる。その作品を他人に評価してもらうことで、自分の弱い部分もわかる。他人からの叱咤激励が創作意欲にもつながる。名作で楽器の練習をするように、次の音楽家を生み出すには模倣は不可欠なもののひとつだ。 自分の技を試す場として、ネットは容易でしかも大きい。この発表の場に必要以上の制限を与えるべきではない。ネットの使用料徴収には、音楽家の研鑽の場を残すべく、使用料免除枠を作るべきだ。例えばひとり1曲までは免除とするなど。 そもそも今までの音楽家が、例えば駆け出しの時代にライブハウスでカバー曲を演奏したとして、すべてがきちんと使用料を払っているわけではない。それが今になって次世代の音楽家に使用料徴収とはあきれる。 JASRACは一度使用料を決めた以降、特に聴衆から継続して意見を聞くなどの機会は持っていない。これはお役所仕事同然で、およそ芸術を扱う団体のすることではない。聴衆とは無縁の団体になったら、そのときがJASRACの終わりの日だ。JASRAC登録の音楽家からは投票で理解を得ているというが、代表者ではなく末端の意見を聞く機会はあったのか。 JASRACに納めた使用料が正しく音楽家に渡っている確証はない。JASRACは個人情報だとして音楽家個々の収入については公開していない。この問題も含め、JASRACと聴衆、音楽家が議論を続ける場が必要と考える。 まとめると、 ●使用料を支払うことには賛成 ●次世代の音楽家が研鑽できるよう、使用料免除枠を作るべき ●聴衆の意見を聞いていない決定には反対 ●今後も使用料や著作権について議論するべき、また議論の場を作るべき また、最近は未成年でもwebサイトを作ることができ、また未成年でなくとも著作権意識が低い人が多くいる。彼らへの啓発も理由のひとつに含めたい。 これらの理由から、当サイトでは使用料を払うものの、JASRACの方針には依然反対する。
過去の方針から変更した点について説明します。変更点は緑色です。
(2004.7.10) |
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